toshihide kajihara

住まいに夢をのせて

Nov.2012
世田谷区・佐藤さん
Vol.2

 

  • 仕事    マンションリノベーション
  • 家族構成  女性
  • 場所    東京都世田谷区上野毛
  • 取材・文  竹内 典子
  • 写真    梶原 敏英 (無記名分:SEKI DESIGN STUDIO)

 

佐藤さんには「パンが焼けて、サロンのようにも使える空間にしたい」という夢があった。心地よく暮らすことの中に、パンづくりも含まれていて、その夢の姿を思い描きながらの住まいづくりであった。それから6年、久しぶりに訪ねた佐藤邸では、思いがけず、新たな夢が育ちつつあった。

天然酵母のパンをつくるために

佐藤さんは、84㎡の中古マンションを購入されて、僕がリフォームをさせていただきました。あれから6年経ちますが、全然変わらない、すっきりとした暮らしぶりですね。キッチンも使っているきれいさがあって、清潔感が感じられて、佐藤さんらしい気がします。

佐藤さん

私は生活感あっていいと思っていて、その中で気持ちよく暮らしていければと。

以前、佐藤さんが暮らしていたアパートを訪ねた時も、今と同じようなことを感じた覚えがあります。小さい部屋で、趣味のパン作りをされていて、ラックとかにパン作りの道具がたくさん納まっているんだけど、その一つ一つがちゃんと手入れされて、使いやすいよう戻しやすいよう適材適所に工夫して置いてありました。

佐藤さん

小さいアパートでしたからね。家庭用の小型オーブンで焼いていて、でもだんだんと、もっと大型のオーブンで焼いてみたい、自分のパン作りの方法を試してみたいと思うようになって。そのための広いスペースがほしくなったんです。

まだどこに住むか、物件が決まっていない時に、佐藤さんは僕を訪ねて来られた。

佐藤さん

家づくりは初めてのことで不安で。その少し前にマンションの耐震強度偽装事件が発覚して問題になっていた頃で、いくら本を読んでもこれでいいのかとか、一人で決めることが不安だったんです。買ってから、ここにオーブンは置けないってことになっては困るし。家を決める前に、関さんに見てほしかったんです。

たしか大型のオーブンをすでにキープしてあったんですよね。業務用オーブンのメーカー「キュウーハン」さんが、天然酵母パンをつくりたいという人が増えてきて、家庭でも使える小型の業務用オーブンを開発したというもので。大きさも1m角くらいあって、オーブンとその下に生地の発酵器を置くと、佐藤さんの背丈くらいありましたね。

佐藤さん

中古で買ったんですけど、アパートには置く場所がなくて、メーカーさんにこのオーブンでいずれパン作りをやるからと、それまでの間預かってもらっていたんです。

パン屋さんというより、パン教室とかサロンみたいな感じで、この場をイメージされていましたよね。

佐藤さん

そうです。ここでパンは作るんですけど、いかにも作業場というところまでは、しっかり境界線を引けなかったんです。作業場としてがっちり頑丈につくってもらうというよりは、パンを焼くことも含めて自分が暮らして心地よいスペースをつくってもらいたいなと。

本格的にパンを焼けて、サロンにも使えそうなスペース。このLDKはそんなイメージでデザインしたので、普通の家のLDKとはちょっと空間バランスが違うんですよね。キッチンがもともとのダイニングスペース側まで広くあって、普通はダイニングテーブルを置くところにアイランド型のパン捏ね台を置いて、パン作りの場をしっかり確保。ダイニングテーブルはリビング側の真ん中に置いて、ソファは置かずに、窓側にベンチをつくって、そこをちょっとくつろぐリビングのようなスペースにしました。

佐藤さん

一人暮らしなので私にはソファセットは必要ないと思ったんです。ベンチの下は収納も兼ねているので、料理の本や雑誌、ファイルなどをまとめて入れています。

収納の左右の端は扉で開閉する造りで、そこにAV機器とか入るようになっていて、広いベンチの一部をテレビ台に使えますし、それ以外の収納は引出して使えるようにしたんですよね。

佐藤さん

私は細かく仕分けながら整理整頓するのは苦手で、こういうある程度の大きさがある収納に、バンバンしまう方が性格に合っていて、使いやすいんです。

佐藤さんの住まいだから、空間も収納も佐藤さんにとって必要なバランスに整えればいいわけで。すっきりと片付いた感じが、この家らしさにもなっていると思います。

「心地よい居場所」について、笑顔で語っていただきました。
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オリジナルのキッチンは、傷や汚れが目立たないバイブレーション仕上げのステンレスと、床と同じ竹の面材で構成。パン作りと料理のながれに合わせ、調理機器の位置と収納の関係をシンプルにまとめました。
モザイクタイルを背景に、使い慣れたキッチン用品がならぶ。
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佐藤さんにとっての心地よい、キッチン、ダイニング、リビングの在り方をデザイン。
既存の出窓に、テレビ台、収納、ベンチソファを一体にした造作家具を絡めることで、窓のある場を活かす。
ソファで寝転んだり、たくさん収納できて便利。
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左官の雰囲気に憧れて
「パン生地色」の空間に。

佐藤さん

ここは真夏でも過ごしやすいんですよ。左官の調湿作用が効いているようです。

壁も天井も左官仕上げにしましたからね。石灰ベースに、天然の白い砂とグレーの砂、雲母を入れたオリジナル調合の二度塗りでした。

佐藤さん

そもそも雑誌で関さんが自宅を左官壁にしたのを見て、「マンションでもこんなふうにできるんだ!」って思って。それで私は関さんにリフォームを依頼したんです。

覚えています。佐藤さんが初めて僕の自宅を訪ねてくれた時、胸に手を当てながら左官壁を見回していました(笑)。

佐藤さん

私は秋田の昔風の家で育ったので、漆喰の空間のもつ気持ちよさがどこかにインプットされているのかもしれません。モダンなものに惹かれたり、いかにも都会のマンションというのにも憧れたりしつつ、でも何かそういう気持ちよさが違うのかなと。

なるほど。僕の家は肌色の左官壁で、佐藤さんはその色味を気に入ってくれたし、パンのサロンというイメージもあって、佐藤さんの家の左官は「パン生地色」に決まったんですよね。

佐藤さん

ここに遊びに来てくれる人は、全体の雰囲気がいいねって言ってくれます。壁も天井も左官で、空間の大部分を占めていますから、この雰囲気をつくっている一番は、左官なのでしょうね。

僕の家も12年くらい経ちますけど、今でも壁を眺めていたりすることがあって、左官の存在は大きいです。

佐藤さん
でも、家づくりの途中で、予算が合わなくて、壁をどうする?という話になったことがありましたよね。左官ではなくて、漆喰風の塗料を塗らないかと。でも、私は譲れなかった。譲ったら、予算的にかなり楽になるんだけど、それだけは譲れないって。

そうでしたね。この空間の中で占めているのは、左官の壁・天井、それと床の竹という素材。予算を考えると、左官を詰めるしかないというか、そこが大きかったんです。たとえば竹をナラやウォールナットに変えたところで、突板を使っているので、そんなに単価は変わらない。これを化粧板にすれば、もちろん変わるけれど、それはやりたくないわけで。結局、予算については、細かなところを一つ一つ洗い直して何とかしました。

佐藤さん

後で、譲ってもよかったかなと思ったこともあったんですけど、こうして暮らしてみて、やっぱり左官にしてよかったと思っています。

床も竹にしてよかったですね。肌触りがすごくやさしいし、無垢の堅木というのも佐藤さんのイメージとは違っていたし。それに竹には自然の殺菌効果があって、パン作りで床に落ちた粉に虫がつくという話も聞いていたので、竹の効能を少しでも生かせたらと。竹は水場に使うことにも優れていると考えて、キッチンの扉も竹でつくりました。今、改めて見まわして、パン生地色の左官と竹の相性も、佐藤さんらしくていいですね。

佐藤さん

晴れた日のお昼過ぎには、窓の外のハナミズキの木漏れ日が、左官の壁や天井いっぱいに映り込んで気持ちいいですよ。

ここは、LDKの前に枝振りのきれいなハナミズキがあったり、小さなテラスがあったり、反対側の寝室にも外に庭があって、ゆったりとした間合いのあるマンション。こうした環境のよさも、空間にうまく取り込むことができました。

パン生地色の石灰に砂を入れたオリジナルの左官。包み込まれる様な空気に癒される。
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左官壁面は反射が柔らかく、爽やかな光の陰影が空間をつなぐ。
床と同じ竹の集成材で造作家具を作ることで、統一感が生まれる。
インテリアの水平、垂直ラインと竹の柾目に、オークのYチェアとオリジナルの丸いテーブルの有機的なラインが映える。
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この空間があるからきっとできる。
家に力をもらいながら、次の夢へ。

話は変わりますが、この頃はパンを作っていないと聞いたのですが。

佐藤さん

そうなんです。ここが完成して、念願のパン作りを自分の方法で試すことができて、1年くらいは友達の店で出してもらっていたんです。ところが、体調を崩してしまって。焼いたパンの試食とかで、かなりパンを食べていたこともあって、小麦が体に合わなかったんですね。年齢的な不調も重なり、それで、続けたかったんですけど、やめることに決めて、オーブンも手放したんです。

そうだったんですか。今はどうされているのですか。

佐藤さん

体調を整えるために、鍼治療や整体に通ったり、食から治そうと薬膳を習い始めて、かなりよくなりました。それからフィトテラピー(植物療法)の学校にも通っていて、ハーブ療法や精油を用いたトリートメントを習っているところです。

それはいずれご自分の仕事に?

佐藤さん

そうです。そう思えたのは、この空間があるから。今、寝室の奥の小さなスペースに、簡易ベッドを置いて、そこでトリートメントの練習をしているんですけど、そこはベッドから目の前に庭の緑が見えて、脇には畳敷きの小上がりがあって、他には何もない小さな空間。でも、来てくれる友達がみんな「ホッとしてリラックスできる」と言ってくれて、LDKも雰囲気が「サロンにすごくいいね」と言ってくれるんです。

今日はじめてパン作りからの変遷をうかがって、びっくりしています。でも違和感ないですね。佐藤さんらしくちゃんと繋がっている気がします。

佐藤さん

パンをやっていた時も、食品として酵母でも何でも一つ一つ自分で選んでやってきていたし、そういう知識は役立ったし、今また学んでいることをフィードバックして、いずれパンも作りたいなと思っています。自分で楽しめる、無理のない方法で。

そうですよね。知識も技術も持っているんですから。

佐藤さん

この雰囲気があるから、またこの場を活用したいし、ここならできるって思えるんです。とりあえず週1回でも、まずはサロンというよりも、友達とかで体調がちょっと悪い人とか、やってほしいという人に来てもらおうかと。練習用に使っているベッドは折り畳み式なので、ペーパードライバーを返上して、歩けない人の所へはベッドを車に載せて行ってあげたいとも思っています。

それはいいですね。僕はぎっくり腰をやったことがあるんだけど、その時も歩けないからタクシーで通いましたから。体調悪い時は、自宅まで来てもらえたら助かりますよね。

佐藤さん

将来的には、サロンとして、トリートメントだけでなく、体調に合わせたハーブや食事などもアドバイスできたらと考えています。

実現できる日も近いと思います。楽しみにしています。

都会のマンション暮らしで自然と出会える豊かさ。
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ベットルーム+デスクスペースから庭を望む。ベットに横になりながら本を読んだり、デスクでPCをしたり。寝るだけを目的としない部屋。
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洗面、脱衣、浴室、トイレを廊下で離し、引き戸の位置を合わせてさりげなく繋げる。
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畳のゲストルーム。普段は、庭を眺めながら小上がりに腰掛けてお茶をしたり、洗濯物を畳んだり、寝転んだり。将来サロンとしても使えそうな便利な部屋。
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住む人の顔ともいうべき玄関。弧を描いたパン生地色の左官の壁面とパワーストーンであるイエローオニキスのモザイク石張りの床面で、優しさと暖かな印象を強調。